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マーケティング

小さな幸せを大事にする

プレジデント記事
幸福は質素倹約 まあ納税することだな
金森さん

さて、話を戻して、年収がある一定水準以上に上がるとほんとうに幸福度との相関がなくなってしまうのかというテーマを考えてみましょう。幸福度に“飽和点”というものがあるのか。そこが問題です。

グラフを丁寧に見てみると、メキシコを含む気候も温暖でお話に出てくるように「ギターを弾いて歌を歌って……」というラテン系の陽気な国々(グラフ左上)は、世界平均よりも主観的幸福が高い傾向にあります。それに対して、寒冷で長年、共産主義による締め付けのあった旧東欧諸国(グラフ左下)は平均よりも主観的幸福が低くなっています。つまり、主観的幸福は、ひとり当たりのGDP(収入)だけでなく、地理的・文化的・国民気質的な影響もかなりあるのです。

所得に伴う幸福感の増え方は、平均してゼロになる。所得が多ければ多いほど、好きなところへ旅行に行けるしオペラも見られるなど多くの楽しみを買えるうえ、生活環境も改善できるのはまちがいないのだから、これはじつに驚くべき結果と言える。なぜこうした追加的な快楽は、感情経験を高められないのだろうか。考えられるひとつの解釈は、所得が増えるほど生活の小さな他の楽しみを味わう能力が減ってくるのではないか、ということである」(『ファスト&スロー下』ダニエル・カーネマン著)


所得が低ければ小さな幸せを満喫できるが、所得が増えすぎると小さな幸せを感じるセンサーが鈍くなるのでしょうか。お金持ちはせっかくの幸せをスルーしてしまうという説です。

富裕層は知る、生活満足度と幸福感情は「全く別物」


僕は先日、確定申告を終えたところで、個人年収は今年人生で初めて10億円を超えましたが、生活満足度は「大変満足している」と言えるとしても、日々の幸福感情は家庭内の離婚協議のごたごたで「あまり幸福ではない」状態にあります。生活満足度と幸福感情は全く別物だからです。


儲けても質素倹約でないと幸福感情は得られない


あくまで質素倹約の倹(つま)しい生活を送り、その中で幸福感情を感じつつ、莫大な資産を形成することをお勧めしたいですね。

*筆者・金森重樹氏